発達障害は見た目では分からない、認知されにくい障害

「自分は発達障害なのでは?」
「あの人は発達障害かもしれない」
という話を聞く機会が、ここ数年で増えました。
それだけ発達障害というものが世の中に認知されてきたのだと思います。
“大人の発達障害”という言葉もあるくらいです。

発達障害は見た目で分かりにくく、知的な遅れなどもないため、
非常にわかりにくい(認知されにくい)障害です。
発見が遅れる大きな理由の一つはのはそのためでしょう。

ただ、発達障害は先天性の障害のため、
時期や何かをきっかけになる(発症する)ものではありません。
では、先天性なのになぜすぐにわからないのか?
それは、私は、“社会性”が求められる場面に遭遇し、
そこで初めて認識することが多いからだと考えています。

子どものころから、発達障害の傾向や特性はあったはずです。
しかし社会性があまり求められない時期は、
それが顕在化することはありませんでした。
学校のクラスにそれと思われる人はいたかもしれませんが、
「ちょっと変わっている」「面白い」「“ヌケて”いることが多い」など
として、周囲もその人の特徴として捉え、
特に気にかけることもなく過ごしたのだと思います。
発達障害はさまざまな特徴がありますが、マルチタスクが苦手、字が極端に汚い、物覚えが悪い、などもその人の「苦手」として、
年齢を重ねるうちに改善されていくだろうと、
本人も周囲も障害と捉えずに年月を重ねるケースも少なくありません。

しかし、一般的に年齢を重ねるごとに経験・知識は増していき、
それに伴い社会性は身についていきますし、また求められます。
そして小学校から中学・高校となるにつれ、
日ごろの行動範囲や人間関係が広がっていきます。
年齢差のある人との関わりが増えたり、アルバイトをはじめたりすることもあるでしょう。
そうなると、これまでは特に感じていなかった特徴も、社会性が求められる場面では、
一般的とはズレた非常に目立つポイント(※)になってしまいます。
そこで初めて発達障害では?と感じることが多いのだと思われます。
※簡単な指示が覚えられない、片づけられない、空気を読まない言動、多動など

「社会性」を求められるにつれ発達障害の障害特性が明らかになる

繰り替えしになりますが、発達障害は後天性ではありません。
先天性にもかかわらず障害は判明しないのは、それまで認められないか、
もしくは、何となく認識していても支障なく過ごせてきたためだと思われます。
実際にはさざままな場面で支障はあったかもしれませんが、
「ちょっと変わっている人」や「キャラクター」のように周囲が認識していたり、
自身も「なんか上手くいかない」と感じていたりしつつも、
それまでの生活は何とか成り立っていたため、
「障害」と決定づけたり診断を受けたりするまでに至らなかったのでしょう。

それが社会人になり複雑な作業を依頼されたり、社会性を求められる場面が増えたことで、
「ちょっと変わっている人」や「キャラクター」だけで済ますことが難しくなり、
苦手が”問題”として「露呈」したことで、「判明」したのだと思います。
たとえば、簡単な仕事の指示を覚えられない、同じミスを繰り返す、などです。
発達障害は知的障害ではなく、IQは低くありません、むしろ学校の勉強自体はできる人も少なくありません。そのため大学を卒業し、一般企業に入社している発達障害者も多くいます。
しかしながら、一般的に十分な知的能力を持っているであろう人、大学まで出ている人に関わらず、「なぜこんな簡単なことができないのか」ということが周囲の疑問や不信感を招き、本人も「なぜ他の人ができているのに自分はミスを繰り返すのか」といったことが入社直後などは散見されます。

社会性が求められる世の中で

私たちは、社会性を持っていることを前提とするなかで生きていると言えます。
また、社会で生きる中で平均や標準を、具体的な言葉は持たなくても感覚で理解しています。
その理解は家庭や学校、仕事を通じて教わったり、自身で学んでいくものです。
生活の中で少しずつ理解し、それが社会性や常識となっていきます。
私はこのブログを「できるだけわかりやすい言葉」で書くことを心がけていますが、
「できるだけわかりやすく」は、“一般的な成人”を指しており、
もう少し具体的に言うと、“ある程度の学力やIQがあれば理解できるであろう”という前提です。

ただ、社会性や平均、標準、~~できるであろう、これくらいは、
という前提で物事が行われたり、コミュニケーションがとられたりすることは、
発達障害のある方にはとてもあいまいな要素が大きく、困難です。
それが、発達障害のある方を“生きづらく”させているのだと思います。

発達障害のある方を“生きづらく”させているのは「一般的」という概念

発達障害のある方を“生きづらく”させているのは、私たちが、
「あたり前」や「常識」、または「できるだろう」「当然だろう」
という前提で生きていることと無関係ではないでしょう。
仕事の場面でいうと、

挨拶ぐらいはできるだろう、
電話応対ぐらいはできるだろう、
コピーくらいは取れるだろう、
「清潔感のある服装」といえば伝わるだろう、

という●●くらいは一般的に考えてできるはず、理解できるはず、
という前提で私たちはコミュニケーションをとります。
「なんでこんなことすらできないんだ!」となるのはこのためです。
ですが、発達障害のある人にとって、理解はできるかもしれませんが、
行動に移すのが困難だったり、言葉よりもイラストなどの方が理解しやすいかもしれません。
つまり健常者にとっては、ずっとあたり前に過ごしてきているため、
それがほとんどの場面において当然として行動しています。
ただそれは、これまでは幸いにも、抽象的な言葉で理解しあえていただけであり、
発達障害者だけでなく、違う環境で育った人たちからしても、
いきなるその環境に放り込まれたら、なじむまで時間がかかるでしょう。
また、健常者の場合は、程度の差はあれ、
その環境における常識を身につけることができるため、
仕事やコミュニケーションにおいてハードルとなることはさほどないというわけです。

なにも異文化の人たち、異星人と会話しているつもりで、というわけではありませんが、
一旦、自分が持つ常識を疑ったり、
相手の人と自分の価値観や感覚はもしかしたら違うかもしれない、
という意識を持つことは大切だと思います。
もちろんそれは、障害の有無は関係ありません。
世代間や男女間でも違うかもしれませんし、家庭環境や受けてきた教育、育った地域など
違いを挙げればきりがありません。
大事なのは、どのような環境でどのような影響を受けてきたとしても、
それを尊重し相手をリスペクトして接することです。

発達障害は、判明するのが遅くても、それが治るわけではありません。
判明の時期に関わらず本人の苦手や特性を認め、
周囲の人たちがそれを“お互いさま”と支えるような環境が出来上がると、
“生きづらさ”は減っていくのではないでしょうか。

※当コラムは別サイトに2017年10月に掲載した記事に加筆・修正したものです。

Written by

菅間 大樹

findgood編集長、株式会社Mind One代表取締役
雑誌制作会社、広告代理店、障害者専門人材サービス会社を経て独立。
ライター・編集者としての活動と並行し、就労移行支援事業所の立ち上げに関わり、管理者も務める。職場適応援助者(ジョブコーチ)養成研修修了。
著書に「経営者・人事担当者のための障害者雇用をはじめる前に読む本」(Amazon Kindle「人事・労務管理」「社会学」部門1位獲得)がある。