Last Updated on 2024年8月4日 by 菅間 大樹
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『就労支援フォーラムNIPPOIN 2023』基調講演登壇者:野添葉音さん インタビューvol.2
2023年12月に開催された「就労支援フォーラムNIPPOIN 2023(主催:日本財団」にて、基調講演を務めたのは当時高校生の野添葉音さんでした。野添さんは、障がい者を取り巻く環境に抱いた違和感について熱く語り、会場に集まった当事者・関係者たちから大きな賛同を得ました。findgoodでは、野添さんにお話をうかがい、複数回に分けて掲載しています。すでに公開しているvol.1では、フォーラムの感想や登壇するきっかけをお聞きしました。vol.2となる今回は、障がい者に興味を持つきっかけとなったご家族のことについて話してもらいました。 |
障がい者について考えはじめたきっかけ、家族のこと
―――基調講演について、家族や友達から反応はありましたか
たぶん、ほとんどの友だちはこのことを知らないと思います。この講演の準備期間は大学受験期だったため、それぞれの受験スケジュールに応じた登校スタイルで、学校に行っても友だちと会うことが少なかったんです。
家族は、フォーラム登壇が決まったときに「すごいね」って喜んでくれました。両親は「こういった機会をいただけるというのは普通のことではないから、竹村さんや日本財団のみなさんの気持ちに応えられるようにがんばろうね」って背中を押してくれました。
5歳上の姉は、妹が就労支援フォーラムに登壇するようなことをしているとは思っていなかったみたいで、「すごい!!どうしてそんな大役!?」とびっくりしていました。でも、私自身も含め、家族全員が、まさか基調講演という大役をいただくとは想像もしていませんでした。
―――そもそも障がい者について考えるようになったのは、いつ頃ですか
考え始めたのは、高校2年生のときからです。まだ、1年くらいなんです。実は、それまでは、他人事のように感じていました。
―――1年間で、一気に深く関わることになったんですね。むしろ、その短期間でここまで調べて分析する力がすごいと思います。それまでは他人事だったとのことですが、お母さんのことはどのように感じていましたか
私の母は耳が聞こえないんですが、それは、私にとって当たり前のことでした。だから、母のことを障がい者だと思ったことがなかったんです。
母は耳が聞こえない代わりに、唇の動きを見て相手の話していることを読み取ります。母が読み取れなかった部分を私が補うこともあるんですが、それもまた日常なので、特別なことだとは思わずに生きてきました。
それが、コロナ禍になって、マスクをするのが当たり前になりました。そうすると、母は買い物をしているときに、お店の人とまったく会話ができなくなってしまったんです。私が一緒にいるときは通訳できますが、マスク越しでの会話も困る姿を見て、初めて母の生きづらさを感じました。
そこで、障がいについて、ちゃんと知りたいと思ったんです。
―――お母さんが聴覚障害だと気づいたのは、何歳くらいですか
いつ気づいたのかは、自分ではもうわかりません。でも、私の母と友だちのお母さんは違うんだなって思ったのは、小学生の頃です。
授業参観などで母が学校に来ると、友だちから「お母さん外国の人?」と勘違いされてしまうんです。私にとっては、普通の会話なんですが、他の人が聞くと母の発音には違和感があるみたいです。だから、母国語じゃないように聞こえてしまうんでしょう。
そこで、私が「母は耳が聞こえないんだよ」って伝えると、友だちが子どもなりに気を遣うんです。でも、そうなると、私は私で気を遣わせてしまって申し訳ないという気持ちになってしまいます。
隠したいというわけではなく、友だちに気を遣わせてしまうくらいなら言うのをやめようと思って、周囲にはあまり言わないようになりました。
―――なにか、苦労したことや困った思い出はない
それが、ないんですよね。だから、「お母さんのためにがんばってね」とか「お母さんを支えてあげてね」と言われることに違和感があります。
もちろん、母は母なりに日常的に大変なことはあると思いますが、その大変さを子どもには見せなかったのかなと思うことはあります。たとえば、母が周りのお母さんとコミニュケーションをとったり、順番にくるPTAの役員を一年間担ったりしていたことは苦労したと思います。
また、5歳上の姉が小さい頃から母の代わりに電話やドアフォンなどをサポートしていました。その姿を見ていたので、家族の中では助け合うことが当たり前でした。母は、普通に「お母さん」をまっとうしているし、私も家族も普通だと思って過ごしています。
なので、心配してくれる気持ちはありがたいことなのですが、どこか「障がい者だから、きっと大変だよね」みたいな背景があることに戸惑いを感じてしまうこともあります。
―――なるほど。お母さんと家族のコミュニケーションは、口を読む感じですか?手話などは?
手話は、まったく使えません。母は生まれつき耳が聞こえないんですが、祖母が口話の教育をしたいという方針だったらしく、手話を習っていないんです。
だから、いつも口元を読み取っています。たまに、勘違いして話が進んでしまうこともありますが、私たち家族は母が言いたいことがわかるし、普段はお互いに話も通じているので、問題はないです。
―――では、野添さん自身が障がい者について調べたり活動したりしようと思った理由はどんなことですか
さっきお話したように、コロナ禍がきっかけで「障がいって何だろう」というところから意識するようになりました。
それで、祖母に電話をして「お母さんって、どんな幼少期を過ごしていたの?」と聞いてみたんです。最初は、自分が興味を持ったこと、知りたいことを思いつくままに聞いていました。
そのうちに、祖母から「興味があるなら、実際に障がいのある子と接してみたら?」と言われて、ボランティアに参加しました。ボランティア側の人たちや、利用している子どもの保護者など、関わっている方々にお話を聞くというところから始めました。
―――そういった活動を始めたときは、お母さんや家族はどのような反応でしたか
びっくりしたというのが一番大きかったようです。まったくの想定外というか、それまでそういった話をしたこともなかったので。
でも、私が活動し始めて、母自身も自分の障がいについて何か考えるようになったと言っていました。これまで、母は自分のことを障がい者だとは思っていなかったんです。
でも、娘がこういった活動を進めていく中で、母自身も障がいについて勉強したいと言ってくれました。
野添さんの活動を通じて、お母さん自身も考える様になったというエピソードを聞いて、素敵な親子関係だと感じました。娘が本気で取り組んでいるからこそ、その姿勢を認め、興味を持ったのではないでしょうか。小学生くらいの頃は、障がいに限らず、自分の家族が周りと違うかもしれないということに敏感になる時期でもあります。しかし、そんなことは気にならないくらいお母さんや家族が大好きなのだということがうかがえます。次回は、障がい者を取り巻く環境において、野沢さんが抱く違和感、これからの活動についてお聞きします。 |