Last Updated on 2023年7月25日 by 菅間 大樹

働く障がい者を支援する現場で生き生きと活躍している女性にフォーカスする「findgood』×埼玉県女性キャリアセンターコラボ企画の第3弾をお送りします。

先日、令和4年6月17日に厚生労働省の労働政策審議会から厚生労働大臣に対し、今後の障害者雇用施策の充実強化について、意見書が提出されました。そのなかで、障害者雇用と障害者福祉の連携にもと、障がい者本人と企業双方に対して必要な支援ができる専門人材の育成・確保が目標にありました。

今回は、障がいのある求職者に寄り添いながら福祉的な目線で支援する市町村障害者就労支援センターから障がいのある方を雇用する特例子会社へジョブチェンジし、想いをカタチにしようと障害者雇用に取り組んでいる女性にフォーカスしました。

【Vol.1、特例子会社で障がいのある社員や彼らを支援するスタッフとともに企業のミッションに取り組む女性社長のインタビューはこちら

※再掲載『findgood』×埼玉県女性キャリアセンターコラボ企画~障害者雇用の最前線で働く女性の“今”~ – findgood

【Vol.2、障がいのある求職者と求人企業をブリッジする「障害者就業・生活支援センター(通称ナカポツ)」で一人一人に寄り添いながら就労支援に取り組んでいる女性のインタビューはこちら

『findgood』×埼玉県女性キャリアセンターコラボ企画~障害者雇用の最前線で働く女性の“今”~Vol.2 – findgood

今の仕事の内容を教えてください

株式会社カインズの特例子会社で、障害者雇用責任者として、会社見学や実習をご希望いただいた方への対応や、障がいのあるメンバーの定着支援や職域の拡大、また働きやすい労働環境の整備に取り組んでいます。

私がこちらに転職してきたのは2年ほど前です。以前はこの地域の市町村障害者就労支援センターで障がいのある方の就労支援を行ってきたのですが、その縁もあって株式会社カインズ・ビジネスサービスにお世話になることになりました。

株式会社カインズ・ビジネスサービス  飯野 琴美(いいの ことみ)さん

障害者雇用の分野で働こうと思ったきっかけ

もともとは大学で英語を専攻していたので、大学生の時は障害者雇用の業界に就職するとは全く思っていませんでした。

たまたま教職課程が取れる学部にいたので、高校と中学校の英語教諭を目指して教職課程を専攻しました。中学校の教職課程では介護体験が必要で盲学校へ実習に行くことになりました。ちょうど運動会の練習をしている時期で、ベルの音を頼りに短距離走をするなど、今まで経験をしたことがない世界がそこには広がっていました。

実習の際に校長先生からいただいた言葉を今でもよく覚えています。

体育の授業後、昇降口で外履きから上履きへの履き替えを支援する機会がありました。なかなか履き替えられない生徒たちを見て、教育実習生の私は何も考えず手伝おうとしました。

しかし、その場にいた校長先生から、

「本当に難しいと感じた時に手伝ってあげてください。この子たちはこれから先もこの環境の中で生きていかなければなりません。この子たちの『できる』を増やすためには安易に手を差し伸ばしてはいけません。」と指導をいただきました。

何もかも支援するではなく本当に必要だと思う時に支援してあげて欲しいという言葉は、自分がその時まで思っていた教師のイメージと、実際の体験があまりにも違っていて、当時はとても衝撃的でした。

その言葉が、障がいのある子どもたちの人生について考え、同時に自分の人生についても考えるようになったきっかけでした。

また、私自身、障がいのある方に対して、構えることはありませんでした。というのも、私は小さい頃から障がいのある方とかかわる機会が多い方だったからです。

母親が学童保育所の支援員をしていたことも影響し、私は中学生の頃から母が勤めている学童保育所へボランティアとして参加していました。

当時は今のように放課後等デイサービスも普及していませんでしたから、障害のあるお子さんが利用しているケースも多く、何となく障害のあるお子さんとも自然に接していました。

その後、私も高校・大学生となり立場はボランティアからアルバイトへと変わりましたが、長期休みを利用して学童保育所での働きは継続していました。

自分が年齢を重ねれば、利用していた子どもたちも当然大きくなり、卒業をしていきます。

その中でふと、この子たちはどういう人生を送るのかなという疑問が生まれました

それもきっかけというか、そういうことを考えられる環境にいたことが大きかったのかなと今では思っています。

障がいのある方を支援する現場へ

就職活動の時期になり、母親から「知人が障がい者の社会復帰の訓練施設を開所するのに人手を探している。応募してみてはどう?」とアドバイスをもらい、何となく「楽しそうだな」という思いで応募してみました。

ちょうど自分の中で芽生え始めた「想い」と地域の障がい者支援の流れとが重なった瞬間だったのかなと思います。

大学卒業後、地域の児玉郡市障がい者就労支援センターで7年間、障がいのある方の就労を支援することになりました。

実際に仕事に就いた時は、学童保育所で障害のある子と接する機会はありましたが、職業リハビリテーションとして支援した経験も知識もなく、何もかもが初めての経験でした。

支援センター開設当初は相談支援だけでなく、職業リハビリテーションとして施設内訓練も行っており、4名で対応していました。利用者はスタッフの人員に比してかなり多く、皆で助け合いながら支援を行っていました。

私自身は採用された時は、障害種別や個々の特性もよくわからないまま働き始めたので、利用者の支援で課題が見つかった時は、他の経験のあるスタッフに相談し、指導をいただきながら、より良い支援につなげるよう努めてきました。

法人の新たな事業への進出とワンランクアップの自分へ

何年かして法人が障害福祉サービスの就労継続支援B型事業所と就労移行支援事業所を立ち上げることになりました。障がいのある方に対して、就労訓練から企業への一般就労までサービスを一連で提供していこうとするものでした。

私はその立ち上げから運営まで関わったことで、障害福祉サービスに対する知識が深まるだけでなく、地域で障害者雇用に関わる人たちとのネットワークが広がり、色々な経験も積むことができました。

それこそ障害福祉サービス事業所として、生活支援から就労支援、施設内就労のための企業からの業務受託の開拓、施設内の在庫管理まで、何でもやりました。

また、利用する障がい者の年齢層も広がり、それとともに様々な生きづらさを抱えている方も増え、一人一人に寄り添った支援の在り方を日常的に意識するようになりました。

障害者雇用の分野では、いろいろな職域の方がかかわっています。就労支援機関、ナカポツ、生活支援センター、ハローワーク、精神科も含めた医療機関等などです。障がいのある方の就労支援をするうえで、自分が拒まなければ、多くの方とネットワークを広げることができます。

実際、私が困難に直面した時、相談に乗ってくれる人たちが大勢おり、「自分のところだったら、こういう支援ができる」などのアドバイスをくれました。

この業界は頼りがいのある方が多く、業界に携わっている人を何とかしてあげようという想いのある方が大勢います。支援者の質があがれば、支援される障がいのある方への支援サービスも向上します。 立場の違いはありますが、『障がいのある方の質の高い生活を支える』を目標とする素晴らしい人たちとの出会いで、自分は成長してきたと実感しています。

「働くワタシ」のターニングポイント

一つ目は、ありきたりかもしれませんが、出産は私にとって大きな転機でした。

以前勤務していた就労支援センターで出産・育児休業を取らせてもらいましたが、出産前は、それこそ自分で言うのもなんですが、家庭のことよりも仕事を優先していました。

新婚旅行に行く当日の昼まで仕事をしていましたし、結婚する際も夫に家事はできません、それを求めるなら結婚はできないとはっきりと宣言したりもしました。

しかし、あたり前からもしれませんが、子どもが生まれたら、今までの自分主体から子どもが主体、家族が主体になりました。

育児休業からの復帰後は、時短勤務を利用しましたので就業時間は6時間と短く、退勤後すぐに子どもを保育園に迎えに行かなければならないため、限られた時間内に仕事をこなす必要がありました。

子どもは保育園に通っているのですが、園に送り届けるときに泣くことも今でも度々あります。その姿を見て、「自分が社会に出て働くことはエゴなのだろうか」「子どもにあんな思いをさせてまで働く意味はあるのだろうか」と深く考えることもありました。

幸い、夫が家事・育児に非常に積極的であること、職場の皆さんに子どもを持って働くことに関しての理解があること、保育園の先生方のおかげで子どもの成長が目に見えてあることなどもあり、自分自身の中でも仕事と家庭のバランスを上手に保てるようになりました。

また、子どもが生まれ、家族を主体として意識しだしたとき、もう一つ感じたことがあります。

仕事から帰り子どもと一緒にいると、この子が学校に入り、これからどう成長していくのだろうと考えたりするのですが、ふと支援している障がい者にも同じような想いを投影していることがありました

私の担当は年齢の若い子たちが多かったので、彼らが転機となる時期を迎えたとき、どんなふうに生きていくのかを深く考えるようになり、彼らともう少し寄り添いながら歩んでいきたい、そういう想いが強くなりました。

基本的には就労支援センターの役割は、就労支援です。就職したらセンターを利用しなくなるのが望ましいことです。でも、彼らとの関りがなくなって、寂しいというのではないですが、彼らはちゃんと生きていけているのか、大丈夫なのか、と心配な気持ちが膨らんできました。 そんな時、今の会社からのオファーがありました。これが二つ目の転機です。

新たな職場へのチャレンジ

就労支援センターでは、障がいのある方にポイントポイントでは関わりますが、一緒に歩んでいくことはできません。でも同じ会社に勤め一緒に働く環境にいれば、少しでもそういうところのお手伝いができるかもしれないという想いで、転職を決めました。

カインズ・ビジネスサービスは同じ地域にある特例子会社で、就労支援センターの時から関係のある会社でした。支援していた障がい者を何名も採用してもらったりしていたので、会社の雰囲気などは承知しているつもりでした。

しかし、実際に働きだして戸惑いが生まれました。

もちろん就労支援センターで働いていたため、自分なりに企業の厳しさ・大変さは理解をしていたつもりでしたが、実際には想像していた以上にギャップがあり環境に慣れるまでに時間もかかりました

働くスタッフの定年まで継続雇用をする原資を稼ぐために利益を追求したり、採用者を増やしたりしていくため、新規事業を次々と拡大をする姿勢には中々ついていくことができず、とても苦労しました。

福祉的分野から転身の私にとって、今まで成果を求められることはあっても、利益を求められることはそこまでありませんでしたから、とても考え方がシビアだと思うことが多々ありました。

転職した当時は、自分の経験を評価して採用してもらったのに、何も活躍できず、迷惑しかかけていないと焦り、不安になっていました。

そんな時、以前私と仕事で関わった方からのアドバイスで少し気が楽になりました。

ものごとは違う側からも見てごらん。今までの経験は支援の立場が変わっても活きるものだし、無駄なことはなにもない。すべてはものの見方だよ。」

その言葉で、企業マインドに合わせ自分を変えていくよりも、自分の個性を活かし、自分にしかできない仕事をしていこうと意識を変えるようにしました。

自分の心持ち一つで、会社のマインドも次第に理解でき、スムースに仕事に打ち込めるようになりました。

『ワタシらしく働く』ことができる場所

私は障害者雇用の分野で働き始めて10年目を迎えました。

最初は障害者就労支援センターで、今は特例子会社。障害者雇用の現場ということには変わりはありません。ただ障害者雇用に対するマインドは少し異なるところはあります。

両方を経験することによって、視点が広がったと感じています。

自分のキャリアを意識することはありませんでしたが、走り続けてきたこれまでを振り返ると、点だったエピソードの一つ一つがつながって、今の自分があると改めて気づきました。

今一番の目標は、この会社で働いている若いメンバーたちに、仕事のやりがいや夢・目標を持って働ける環境を整えることです。

あるプロジェクトで障がいのあるメンバーに将来のイメージを質問したことがあったのですが、全く回答がなく、これには衝撃を受けてしまいました。

本来、障がいのある方も働くことによって、成長し、自立していく。それがディーセントワークであり、障害者雇用の根っこだと思っていたからです。

私は今、現在の評価制度をカスタマイズし、一年の目標、そこをさらに分解して上半期下半期ずつでも、障がいのあるスタッフが目標を意識するよう取り組んでいます。スモールステップでも、そこから最終的に仕事のやりがいとか、目標とか夢などにつながっていく道筋が作れればと思っています。 それが、この会社に来る時の『障害のある方がどういう生き方をしていくのかを見守りつつ、応援する』という、私の想いをカタチにする一つです。

これから障害者雇用の現場で働こうとする女性に対して

もし、子育てを真っ最中の女性で、少しでも障害者雇用の業界に興味がある方がいたら、ぜひチャレンジして欲しいと思います。

人材を育てるということに、子どもも障害のある方もあまり違いはないと、私自身が育児を経験して感じているからです。

きっと、皆さんが子育て中に経験した様々なことは、社会復帰を目指す障害のある方や働く障害のある方の悩みに共通することもたくさんあると思います。

ぜひ、その経験を活かして一緒に障害のある方の生活を支えていく仲間になって欲しいです!

飯野琴美(いいの ことみ)さんプロフィール

大学卒業後7年間、NPO法人児玉郡市障がい者就労支援センターに入職。障がい者の就労支援や職場開拓、就職後も安心して働き続けられるように職場訪問や企業との調整を行う定着支援などの業務を担当。法人の障害福祉サービス事業所(就労継続支援B型事業所、就労移行支援事業所)の立ち上げにも携わる。妊娠・出産を経て、株式会社カインズ・ビジネスサービスへ障害者雇用責任者として転職。現在に至る。埼玉県在住。

【追記】

今回の取材に際し、多大なるご協力をいただいた株式会社カインズ・ビジネスサービス、國頭圭吾 様の急逝に哀悼の意を表するとともに、ご冥福をお祈りいたします。

(インタビュアー:埼玉県女性キャリアセンター 鎌田茂樹)

Written by

菅間 大樹

findgood編集長、株式会社Mind One代表取締役
雑誌制作会社、広告代理店、障害者専門人材サービス会社を経て独立。
ライター・編集者としての活動と並行し、就労移行支援事業所の立ち上げに関わり、管理者も務める。職場適応援助者(ジョブコーチ)養成研修修了。
著書に「経営者・人事担当者のための障害者雇用をはじめる前に読む本」(Amazon Kindle「人事・労務管理」「社会学」部門1位獲得)がある。
https://www.amazon.co.jp/dp/B0773TRZ77