Last Updated on 2023年7月25日 by 菅間 大樹
働く障がい者を支援する現場で生き生きと活躍している女性にフォーカスする「findgood』×埼玉県女性キャリアセンターコラボ企画の第2弾をお送りします。
今回は、障がいのある求職者と求人企業をブリッジする「障害者就業・生活支援センター(通称ナカポツ)」で一人一人に寄り添いながら就労支援に取り組んでいる女性にフォーカスしました。
※再掲載『findgood』×埼玉県女性キャリアセンターコラボ企画~障害者雇用の最前線で働く女性の“今”~ – findgood
『findgood』×埼玉県女性キャリアセンターコラボ企画~障害者雇用の最前線で働く女性の“今”~Vol.3 – findgood
今の仕事の内容を教えてください
私が勤める特定非営利活動法人東松山障害者就労支援センターでは、障がいのある方の「働きたい」を「支え続ける」ことを事業コンセプトとし、「障がいのある方の働くを支え続ける」という活動を通じて、誰もが住みやすいと思える街づくりを目指しています。
その障害者就業・生活支援センターZACの就労支援部門で相談・就労アセスメント(※)を担当しています。今年で勤続19年になりました。
(※)就労アセスメント:障がいのある方が就労し安定して働き続けられるよう対象者の就労面や生活面に関する情報を把握する評価のこと
障害者就業・生活支援センターとはどのようなところなのでしょうか?
当センターは「働くためにどうしたらよいか」「採用されても長く続けられない」「自立して生活したい」などの悩みを持つ障がいのある方を、就業面だけでなく生活面からも支援する機関です。
また、同時に「採用するには何か良い方法は」「職場で不適応行動が出ている」「職場の人間関係が難しくなっている」といった企業からの相談にも応じています。つまり、働く障がいのある方と雇用する企業をつなぐ役割を持つ相談機関で、埼玉に限らず全国に設けられています。
当法人も、埼玉県で障害者就業・生活支援センターZACを運営し、障がいのある方の仕事に関することについて、ご本人、ご家族及び企業の方からの相談を受けています。
ちなみに、センター名が長いため関係者からは「ナカポツ」と呼ばれることが多いですね。
障害者雇用の分野で働こうと思ったきっかけを教えてください
私は法人がスタートする平成15年から現在まで勤めています。法人のオープン当時は障がい者福祉も知らず就労支援を経験したこともなかったのですが、何となく働こうと思いました。
この仕事に就く前は、バレーボールをずっとやっていました。小学校から始めて、中学・高校もバレーボール尽くしでした。実業団に入った後も5年間、仕事と並行してバレーボールをしてきました。職場は23歳で退職したのですが、そこまでバレーボールしかやってきませんでした。
そのため、実業団をやめたとき、自分の好きなことに挑戦してみようと思いました。アルバイトもしたことがなかったのですが、5年ぐらいフリーターをしました。レストランやカフェなど、自分が興味を持った仕事でした。
また、今でいう訪問介護員の資格を取ってみたり、少し興味があった手話教室に友人と通ったりしていました。ただ、福祉には何となく興味がある、という程度のものでした。
ところが、通っていた手話教室の先生が偶然、私がアルバイトしていたカフェに来てくださり、いつの間に先生のご家族の方ともお付き合いするようになりました。先生もご家族の方も聴覚障がいがあり、そういった出会いの中で、私自身の中に福祉への興味が芽生えてきたことと、20代後半になりそろそろ定職に就かないとと思い、福祉の仕事を探し始めたことを覚えています。
そのような経緯でしたので、障がい者雇用も障がい者福祉もあまり知らないまま飛び込んでしまいました。 強い意志があってとかではなく、ちょっとしたきっかけから何となくの興味でこの業界に入ってしまいました。
障がい者雇用の理解度は20年前と現在でどのように変わったか
この10年で障がい者雇用に関連する制度・法律は充実しました。しかし、それまでは発達障がいをはじめ、今ほど障がいについての認知はあまり高くなく、世間的にも正しく理解されていませんでした。それがテレビやマスコミなどで取り上げられるうちに、言葉だけは何となく社会的に浸透してきたと思います。
実は、そうした障がい者雇用を取り巻く社会の動きと自分自身の支援スキルの進み具合は何となく同じだったように感じます。
当初、就労支援で苦労していた頃は、自分自身が勉強不足でよく分かっていなかったこともあり、企業の方も同じような感覚でわからなかったのでは、と思います。
実際、企業の方と話す中で、身近に障がいのある方がいらっしゃるケースも結構ありました。比較的受け入れ体制ができている企業は社員の理解もあり、障がい者受入マニュアルもできていて、社員全体に共有化できていました。
ただ、障がい者雇用に取り組もうとする企業も、企業自身がまずどうしたら良いか、がわからないことが多く見られました。そういった状態では何が正解なのかもわかりません。正解がわかっていれば、みんな障がい者雇用がスムースにできていたと思います。
企業の方とビジネスライクなお付き合いではなく、仲間意識を持ちながら、一緒に歩み、障がい者を雇用するとはどういうことなのかをともに理解し合いながら、一緒に成長してきた20年だったと感じています。
自分自身の仕事への姿勢・考え方の変化
センターに採用されたばかりの20年前の私は、障がいのある方が働くということについて勉強不足でした。支援の際にも障がいについてあまり理解できていないまま、取り組んでいました。
そのため、どういう方に働く力があるとか、障がいのある方が働くとはどういうことなのかに対して、作業所や施設で内職や作業ができる人が企業で働くのではといった、イメージをもっていました。しかし実際には、そういうことではないと次第にわかってきました。
なにか内職・作業ができれば、外(=企業)でも働ける、そこはイコールではない、と気づかされました。
障がいのある方が企業で働く上では、作業だけではなく、職場にいるほかの社員との関係性や上長の指示の仕方などの重要です。また、仕事が大変でも、職場で受け入れられているとうまくいくケースもあります。
今でもよく覚えていることがあります。あるケース会議で一つの求人に対し、法人の利用者を提案する事例がありました。ほかにもっと仕事のできる人がいるのになぜその人を選んだのか、と質問したことがありました。
その時の提案者は、実は今の代表なんですが、彼の回答は「(施設での)仕事ができるから会社で働けるとは限らない。他の要因も含めて多角的に判断する必要がある」ということでした。
実際に、作業所という限定な的な環境で作業ができることと、その人が未だ経験したことのない企業という異なる環境で働くことが可能かどうかは、イコールではないと実感したことを、今でも深く記憶しています。
仕事もそうですが、その人がどういう人なのか、その人の社会性も含めて、面倒をみてあげたいと思わせる人柄も、障がい者雇用ではすごく大切です。勤怠の安定なども含め様々な要素が重要だと感じました。
自分の支援スキルの成長
仕事をはじめた当初は法人の施設内での支援でしたが、就労支援として「外」=企業との関係から、気づきが生まれました。どのように企業が障がい者を受け入れるのか、また雇用し受け入れることとはどういうことなのかなど、以前わからなかったことが少しずつ理解できるようになりました。
そして、やはり仕事はチームプレイで行います。自分一人で課題を抱えるのではなく、みんなで共有しながら解決を模索するということです。
人が相手の仕事ですから、正解やマニュアルはありません。そのため、支援を必要とする方によっていろいろな目線での解決方法を探っています。他のスタッフの意見を聞き、そういう目線で、そういう見方もあるのかと思いながら、課題を乗り越えています。
また、私自身2年前に関節リウマチを発症しました。もともと膠原(こうげん)病の一種であるシェーグレン症候群の診断を受けており、関節リウマチを合併してしまいました、治療薬と痛み止めを毎日服用し、できないことは周囲にサポートしてもらうことで生活も仕事も続けられています。「発症する前の痛みのない体に戻りたい」と思うこともありますが、病気を受け止め、うまく付き合いながら寛解を目指しています。
センターに相談に来られる方も何かしらの障がい・病気がある中で働きたいという相談になるので、共感性とともに、何となく今の自分の経験みたいなものもお伝えができるかなとも思っています。
自分はこうしたよ、ということではなくて、相手の立場に立って慮り、ここを工夫すると生活しやすくなるし、働くこともできるのではないかと、経験を積んできたことで考えられるようになりました。 今は、就労支援の初期段階である相談業務にかかわることが多くなりました。アセスメントも含めて、「働きたい」という気持ちの最初のところで、相談者の気持ちに寄り添った形で支援することで、本人の就労意識を高め、企業での就労につなげるお手伝いができるようになれたかなと思います。
仕事と家庭との両立について
家族は夫と小学生の息子、義理の母との4人家族です。地元で結婚したので自分の実家も近く、子供の保育所への通所や今の学童の送迎などを手伝ってもらったこともあります。家族のサポートもあり仕事と子育てを両立できていると感謝しています。
仕事のオンとオフは車通勤の50分間で切り替えています。夫は同業ではないので、仕事のことを家で話すことはあまりありません。家に帰ったらもう完全にオフにしていますね。
また法人の子育ての支援体制も整っています。出産・育児休業等制度もあり、私は利用第1号ではありませんが、復帰する際に、子育てと仕事を両立する上で時短勤務をお願いしました。
時短勤務利用者は私が初めてでしたが、自分がどういう形だったら復帰して働けるかを考えてのことでした。職場のスタッフの応援もあって、今も仕事を続けられています。そして、私のあとも時短勤務で働く女性が続いています。制度の充実もありますが、それ以上に制度を活用させてくれるスタッフの理解も含め職場環境に恵まれていると思っています。自分の働きたいという「意欲」と、職場が作ってくれた「環境」の、どちらか一方ではなく両方が一致したことで続けてこられたと実感しています。また、それは性別、年齢、障がいのあるなしに関わらず共通することだとも思っています。
自分にとっての障害者の就労支援とは
障害者就業・生活支援センターに以前、相談に来られた方で、しばらく連絡がなかったのですが、また働く相談をしに、何年かぶりに来られるケースもあります。そのように地域の働くための相談場所として、その方の中にセンターの存在がちゃんと残っていて、覚えてくれていたり頼ってもられたりすると非常に嬉しく思います。
自分もそうですが、人生の中で、働くことが占める割合は少なくありません。その人の人生の一部にかかわることにやりがいを感じますし、そして同じくらい大きな責任を感じています。やりがいのある仕事だと思っています。
「何となく」から始まった「ワタシらしく働く」
当法人で採用された時から、正規雇用で働かないとかいわれていたのですが、最初の数年は非正規雇用いわゆるパート職員でした。その時は自分の中で、この場所で働いていこうという覚悟がありませんでした。この業界に入ったきっかけもそうだし、何となくの意識が強く、あまり気負わずに働いていこうと気持ちがありました。
それから、5年ぐらい経ち、企業に対して就労支援をやっていくという段になり、改めて正規雇用のお話を頂きました。その時もすごく覚悟が決まったわけではないのですが、それでもやってみようという気持ちで正規雇用になりました。
正規雇用のお話しを受けようと思ったのは、私にとって、結婚など人生のシーンで気持ちが動いたのではなく、働いている中で関わってきた仕事によって、自分の中で想いが定まってきた感じです。
仕事に対する覚悟を決めるときは今まで何度かありましたが、正規雇用にさせていただく決断をした時が、その1回目だったと思います。
私の中で、いつのまにか「働く」が軸になっている気がします。しかし、何のために働いているのかと聞かれると、これといった理由が明確には思い浮びません。ただ「自分が堂々と生活するため」といったのところが大きい気がします。
どうして働くのか考えたことはありませんが、働いていない自分は想像できません。働くことの意義を考えたことはないけれど、働いている自分が普通であり、それがありのままの自分なのかなと思います。
逆に、働いていなかったら何をしていたか、というところが思い浮かびません。私の中では、働くことのウエートが大きいものなんです。障がい者雇用の支援を20年近く続けてきた今、ほかの仕事やほかの職種に就くことは考えにくくなっています。
一つの例ですが、働き始めた頃は障がいのある方の就労相談を受けることが非常に苦手でした。相談者にフィットした提案ができる引き出しを持っておらず、しっかりと向き合った支援をする自信がなかったんです。
それが今は、判断の難しい相談に対して引き出しが少なくても、自分のところだけでなく、適切な他の部門につなげていくことも考慮できるようになりました。ほかの社会資源を知った上での提案ができるようになったのは、今まで自分が積み重ねてきた経験のおかげだと感じています。
これからも自分が今まで経験してきたことを大事にして、仕事に返していきたいと思っています。
これから障がい者雇用の現場で働こうとする女性に対して
自分の人生の経験が役立つ仕事だと思います。自分の趣味や学んできたこと、家族の介護や出産・育児などの経験は、障がいのある方の相談の際に、共感や適切なアドバイスに活きてくると思います。
障がい者雇用の現場に興味を持たれた方も、肩に力を入れるのではなく、私のように「何となく」から始めてみるのも良いと思います。
鈴木珠希(すずき たまき)さんプロフィール
2003年、特定非営利活動法人東松山障害者就労支援センターに入職。同法人が運営する就労継続支援B型事業所、就労移行支援事業所で就労支援員としてキャリアを積む。2012年から障がい者就業総合相談室 リレーションシップセンターで、障害者就業・生活支援センターZAC就業支援担当として相談・就労アセスメントを中心に携わり、現在に至る。埼玉県在住。