精神科医療の新たな提言:危機時の「本人希望」を尊重する仕組みとは?

精神疾患を抱える方々が、病状の悪化や精神的な危機に直面した際、本人の希望や価値観が十分に尊重され、その権利が守られることは非常に重要です。しかし、危機的な状況下では、時間的な制約やコミュニケーションの困難さから、本人の意思が支援の過程で反映されにくいという課題がありました。

このような状況に対し、新潟医療福祉大学心理健康学科の野村照幸教授らの論考が、英国の国際誌『BJPsych Open』に2026年7月24日付で掲載されました。この論文は、精神疾患のある方が危機時にも自身の希望を尊重され、権利を守られるための「仕組み」について深く考察したものです。

クライシス・プランとAdvance Choice Documents(ACDs)の重要性

今回の論考では、英国などで進められている「Joint Crisis Plans(JCPs)」や「Advance Choice Documents(ACDs)」といった取り組みに注目しています。

  • Joint Crisis Plans(JCPs):精神的な危機に備え、事前に本人の希望や治療に関する選好を記録しておく計画のことです。これにより、危機時に本人の意思を尊重した支援が行われることを目指します。

  • Advance Choice Documents(ACDs):JCPsと同様に、将来の精神科医療に関する本人の希望や拒否する治療などを事前に書面として残しておく文書を指します。

これまでの研究では、これらのクライシス・プラン等の効果について一貫した結果が得られていない面がありました。野村教授らは、その理由を「文書化自体が有効ではない」と捉えるのではなく、作成された文書が危機時に実際に参照され、解釈され、支援に活かされるための「仕組み」が十分に整備されていなかった可能性に着目しました。

単なる「文書」ではない、「実装インフラ」としてのクライシス・プラン

危機時の本人の希望や選好を支えるためには、単に書面を作成するだけでは不十分であると指摘されています。論文では、クライシス・プランを「文書」としてだけでなく、以下の要素を含む「実装インフラ」として整備する必要性を提唱しています。

  • 作成支援

  • 共有

  • アクセス

  • 活用

  • 見直し

  • 例外時の説明責任

これらの要素が一体となった仕組みとして機能することで、初めて本人の意思が尊重された支援が実現すると考えられます。

危機時の本人意思を支える4つの「実装要件」

危機時の本人意思を支えるために、具体的に以下の4つの「実装要件」が整理されました。

  1. 作成を支えるファシリテーション:文書作成の過程で、本人が自身の希望を明確にするための支援や、専門家による対話の促進が必要です。
  2. 現場で活用できる具体性:作成された文書が、実際に医療現場や支援の場で活用できるよう、具体的で分かりやすい内容であることが求められます。
  3. 例外時の透明性・説明責任:本人の希望と異なる対応がとられる場合、その理由が明確に説明され、透明性が確保される仕組みが必要です。
  4. 日常の支援体制に組み込まれたアクセス可能性:文書がいつでも必要な時に参照できるよう、日常的な支援体制の中にアクセスしやすい形で組み込まれていることが重要です。

日本の精神保健医療制度への示唆と国際的な発信

今回の論考は、英国を中心に発展してきたJCPsやACDsの議論を踏まえつつ、日本の精神保健医療制度が抱える課題を国際的な視点から考察しています。

日本の現場の状況を踏まえ、ACDsを固定的な書式として導入するだけでなく、地域や医療機関のネットワークの中で実際に機能するかを検証する「実装モデル」として試行する必要性も論じています。これは、海外の知見を日本に導入するだけでなく、日本の現場から見える課題を国際的な精神保健医療の議論へと発信する重要な意義を持つでしょう。

研究者からのメッセージと今後の展望

野村照幸教授は、本論文について「日本の精神科臨床や司法精神医療、地域精神保健の現場で考えてきた課題を、英国で進められてきた国際的な議論と接続することを試みた論考」であると述べています。

教授は、精神科医療における危機場面では、安全確保が重視される一方で、本人が大切にしている希望や選好、権利や尊厳が十分に尊重されにくくなることがあると指摘。だからこそ、危機が起きてから対応するだけでなく、平時から本人の希望を確認し、それをチームや地域の支援体制の中で実際に使える形にしておくことの重要性を強調しています。

今後は、日本の地域精神保健医療の中で、危機時の本人意思を支える仕組みをどのように「実装」し、評価していけるかについて、研究と実践の両面から取り組んでいくとのことです。

論文情報と関連リンク

原論文情報

  • 論文名:Preference-based crisis care is an an infrastructure problem: lessons from joint crisis plans and advance choice documents for Japan

  • 著者:Teruyuki Nomura、 Shunsuke Kanou

  • 掲載誌:BJPsych Open

    • BJPsych Openは、Royal College of Psychiatristsの国際学術誌で、Cambridge University Pressから刊行されています。
  • 出版社:Cambridge University Press

  • 掲載日:2026年7月24日

  • 論文種別:Commentary(論考)

  • DOI:https://doi.org/10.1192/bjo.2026.12059

  • Open Access:Creative Commons Attribution Licence(CC BY 4.0)

研究者情報

  • 新潟医療福祉大学 心理健康学科 教授 野村 照幸

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Written by

菅間 大樹

findgood編集長、株式会社Mind One代表取締役
雑誌制作会社、広告代理店、障害者専門人材サービス会社を経て独立。
ライター・編集者としての活動と並行し、就労移行支援事業所の立ち上げに関わり、管理者も務める。職場適応援助者(ジョブコーチ)養成研修修了。
著書に「経営者・人事担当者のための障害者雇用をはじめる前に読む本」(Amazon Kindle「人事・労務管理」「社会学」部門1位獲得)がある。
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